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本の紹介BOOK

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このページは、プロジェクトメンバーによる、「法と科学」に関連する書籍を紹介するページです。

科学技術をよく考えるクリティカルシンキング練習帳
伊勢田哲治・戸田山和久・調 麻佐志・村上祐子 編
2013年4月頃刊行予定です。
10のトピックについて、賛成・反対それぞれからの意見の例が記載され、それに適用可能なクリティカルシンキングのツールの解説がなされています。練習課題としての利用を念頭に、意見の例はところどころあえて「論理的つっこみどころ」が設定されております。また、前提やスコープの相違を判別させる練習を意図しており、賛否の意見のかみ合わなさもポイントとなっています。
ご笑覧ください。
この本は、科学研究費補助金基盤研究B 「科学技術社会論と融合したクリティカルシンキングの研究および教育手法開発」(平成21年度~23年度)の研究を反映しています。今後もサポートサイトが運用され正誤表等が提供される予定となっております。


熟議が壊れるとき

著:キャス・サンスティーン著/那須耕介監訳
出版社:頸草書房 発行年:2012年

1950年代から60年代まで、アメリカの政治の中心は裁判所にあったといわれる。公立学校における人種の平等政策、刑事手続き上の権利、性的な自己決定権をはじめとして、重要な権利がリベラルな裁判所によって形成されてきたとされるのだ。
しかし、60年代末から、このような営みは裁判官の支配と揶揄され、民主政に悖るものだとされ、民主政の理念の問い直しが勧められてきた。この問い直しの舞台の一つが、熟議民主政論である。
1980年代、キャス・サンスティーンも民主政治の可能性を探求してきた論者である。しかし、彼は、リベラルと民主政を対置することなく、両者の融合の道を構想した。その構想がアメリカ合衆国憲法の起草者の一人マディソンの議論に依拠しつつ示されたのが本書第二章に収録されている論文であり、本論文は1988年に公刊されて以来、憲法と民主政との関係を考える多くの論者によって参照され、論争の中心になってきており、とりわけ、熟議にどこまで期待できるのかについては疑問符がつけられてきた。また、90年代に、彼は、熟議民主政における裁判所の役割を「司法ミニマリズム」と位置付けて、多くの論争を呼び起こした。
このような批判を受けて、90年代末から2000年代に、社会心理学上の知見を借りつつ、熟議の負の側面、すなわち集団極化現象を検討し(第一章)、また、司法ミニマリズムの意義がある特定の解釈方法にコミットするものではなく、さまざまな解釈方法が使えるコンテクストを特定することにあるのだと説いた(第三章・第四章)。また、決定のコストと決定が生み出す過誤のコストの二つの観点から、さまざまな決定方法(準則、基準、漸進的決定など)がうまく機能する文脈を特定していった(第五章)。
本書を通じて体現されているのは、プラグマティズムの精神である。道具は用途(理念)のために存在する。しかし、常に道具は理念にうまく実現していくわけではない。各々の道具には切れ味がよい対象(文脈)が存在する。文脈ごとの道具の切れ味のよさを判定していくこと、これがプラグマティズムの精神であり、本書で貫かれる精神である。
提供 JST (松尾陽 近畿大学法学部講師/「法と科学」プロジェクトメンバー)


科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう

著:内田 麻理香
出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン 発行年:2010年

 一般読者のみならず、若手研究者等にも強くお勧めしたい珠玉の一冊だ。ざっくり通読することによって、「まず最初に疑ってかかる」という、科学の基本的態度そのものを再認識するに違いない。科学リテラシーは、科学的知識よりもむしろ科学的思考法、つまり「なぜ?」という疑問に真正面から誠実に向き合うことの方がより重要なのは論を待たない。本書はそのことをフラットな立場で強く気づかせてくれる、良質の自己啓発書と言ってもよいだろう。
 首尾一貫、第三者的な視点で科学と接するスタンスは、慧(けい)眼に値する。典型的な例として、「ノーベル賞・フィールズ賞受賞者による事業仕分けに対する緊急声明と科学技術予算をめぐる緊急討論会」(2009年11月25日、東京大学小柴ホール)で行われた、一連のやりとりを取り上げている。このとき、動画投稿サイトUstreamによるインターネットライブ中継とミニブログTwitterへの書き込みが同時に行われ、会場内外でかなりエキサイトした状態になっていた。著者の内田氏も会場の小柴ホールまで足を運ぶことはなかったものの、UstreamとTwitterのタイムライン(時系列で流れていく発言)をずっと眺めていたという。
 ここで起こったことは、今後の科学のありかたを考えていくためにも、きちんと文字にしておく必要があろう。高名な科学者から投げかけられた、討論会の取材に来ている新聞記者への一方的な批判の後、狂信的な「場」の空気を感じ取った一部のサイエンスコミュニケーターに対する罵詈(ばり)雑言まで飛び交い、一触即発のただならぬ雰囲気に包まれた。本来、科学者の味方であったはずの人たちをことごとく敵に回し、「科学者の決起集会」、「蜂起」などという言葉が飛び交い、科学者がひと言発言するたびに熱烈な拍手が起こる様子は、さながら「科学教の狂信者集団」に見えた、と評している。
 科学者であれ、非科学者であれ、思考停止してしまってはいけない。食い違う他者の意見を頭ごなしに糾弾し、封じ込めて独自の判断を下すというのは、決して科学的な思考とは言えまい。まして、科学者を標榜(ひょうぼう)する人たち自らが科学的な思考を放棄して繰り返し行った高圧的な言動を、インターネットを通じて世界中の人たちに開示したことは、科学者コミュニティ全体に対してネガティブな印象を与えることになりかねない。科学者の態度をそのまま伝え「なかった」新聞メディアは、高名な科学者たちよりもはるかに大人の対応を示したといえる。
 著者は、教条主義から解き放たれ、自由でかつゆるい、柔軟性のある科学を提案する。科学は、世の中すべての事象を解決してくれる「魔法のつえ」ではない。私が研究協力者としてかかわっている、科学技術振興機構社会技術研究開発センターの研究開発プログラム「科学技術と社会の相互作用」中村多美子プロジェクト(不確実な科学的状況での法的意思決定)では、法律家が科学の適用限界を知ることによって合理的な法的意思決定を支援するための問題解決型研究を行っているが、本書を読み進めていくうちに、科学の適用限界を知るための教育は、現役の科学者に対してさえも必要不可欠なことなのかも知れないと思われた。
 科学の適用限界を知った上で、疑う心の「欠如モデル」に陥らない、というのが、全体を通じて著者が読者に伝えたかったメッセージなのだと感じた。

提供 JST (立花浩司・サイエンスカフェ「科学ひろば」/「法と科学」プロジェクトメンバー)

医学と仮説――原因と結果の科学を考える

著:津田敏秀(岡山大学大学院/「法と科学」プロジェクトメンバー)
出版社:岩波書店 発行年:2011年

 本書は、「津田君、医学は科学じゃないんだよ」という医学生時代の先輩の一言に始まり、自分の担当患者さんが、肺がんであり、元喫煙者であり、ヒ素中毒患者であり、公害裁判の原告であったという理由で、疫学を勉強し始めた私の4半世紀後のそれなりのまとめです。
 そのうち、国際社会では疫学が人における因果関係を決める際の直接的証明方法であるのに、国内の法廷、あるいは医学部ですら、そう認識されていない現実に直面し、苦しみ始めました。因果関係とは何か、医学とは何か、科学とは何かを考え続け、いろんな分野の勉強を続けた概略的まとめでもあります。
 私は20年以上考え続け、論文も書いたりしたのですが、22歳年下の後輩である鈴木越治先生は、たった4-5年で因果関係論に関して私を追い越すだけでなく、国際的な研究者になり海外での招待講演までするようになりました。従って本書は、引導を渡された研究者の遠吠えでもあります。
 皆さんに、因果関係追求の歴史や、現在の(といっても進歩がものすごく早い分野なので、あっという間に置いて行かれて過去となる)因果関係論をのぞき見していただければいいなと思っております。これらの背景知識を元に、因果判断を誤った様々な国内の実例をも知っていただけるのではないかと思います。



法哲学

著:亀本洋(京都大学大学院法学研究科教授/「法と科学」プロジェクトメンバー)
出版社:成文堂 発行年:2011年

当プロジェクト法グループメンバーの亀本氏による「法哲学」の教科書。
特に、日常の実務にちょっぴり疲れた法律家には、「ここまで言っていいの!?」という斬新な笑いと、意外な視点を提供してくれること間違いなしです。






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