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誕生秘話HISTORY

Japanese / English

法廷における科学

中村多美子

 弁護士としての仕事の中で、時々思いがけず「科学技術」と遭遇することがあると思います。
 たぶん、誰しも、一度や二度は、相手の主張が、「科学的でない」と思ったことがあるのではないでしょうか。また、裁判所の判決に、「科学のことがわかっていない」と腹立たしい思いをしたこともあるかもしれません。読まなくてはならない書類に、何のことかさっぱりわからない科学技術用語がちりばめられていたりもするでしょう。それにしても、「科学的」であるとは、どういうことなのでしょうか。

 私は、もともとが科学少女で、子どもの頃は宇宙物理学者になるのが夢でした。偉大な研究業績はあげられなくても、広大な科学の海原で砂遊びをしていられるようになれば、幸せだと思っていました。大学では分子生物学を志したものの、科学者になり損なって弁護士になった私は、法廷における科学をめぐる議論にとまどいました。

 検証可能性がそもそもない「科学的証拠」。尋問技術により党派的な切り口で語られる「科学的知識」。科学に不可欠な「統計学」に対する様々な誤解。そして、何より、科学に内在するはずの「不確実性」を切り捨ててしまう法システム。細分化され、高度に専門化された科学の知識そのものを知っているのかどうかよりも、法廷の議論で問題なのは、そもそも科学とは何か、という根源的なところにあるように思われましたが、その疑問を解く糸口はなかなか見あたりませんでした。

 とまどい続けてさまよっていた2006年8月、ある事件で物理学者を証人申請することになりました。幾度となくそうしてきたように、こちらの訴訟の争点を伝え、証言してもらえる範囲はどこまでか等を確認するつもりで数人の研究者と面談しました。その中の一人、東北大学大学院理学研究科物理学専攻の本堂毅氏は、専門とする物理の知識よりも必要なものがあるのではないかと私に問いかけてこられました。法廷で科学的知見を用いる私たちに必要なのは、「科学哲学」であり「科学論」であり、科学技術と社会の相互作用を研究する「科学技術社会論」からの視点ではないのか。私の中の、長年の疑問が氷解した瞬間でした。

 確かに、科学技術は、非専門家には近寄りがたい分野です。しかし、科学技術の専門的知見を熟知しなくとも、私たち非専門家は、科学という営みが何かを知ることにより、科学技術の問題を法廷で今より適切に扱える可能性が開けるのだと思います。

 以来、科学技術社会論等の研究者との議論を通じ、東京大学大学院総合文化研究科の藤垣裕子氏、常磐大学国際学部松原克志氏などと出会い、科学技術を法の文脈で議論する試みを知りました。

 他方で、私は、法もまた、科学技術同様、非専門家には近寄りがたいことを痛感しています。科学技術は、社会と相互作用しながら発展していき、社会に張り巡らされている法とは無関係ではいられません。けれども、科学技術のありように強い影響を及ぼしている法や法のシステムについて、科学技術の専門家も同様にとまどいを感じ、困難に直面していると思うのです。

 高い専門性の壁に阻まれ、法律家と科学技術者は、互いのシステムを理解することは容易ではありませんし、それどころか互いが出会う機会さえ稀です。しかし、現代社会が直面する様々な問題の解決にあたり、法と科学が協働する必要性は高まっています。特に、飛躍的に革新する様々な科学技術の受容を熟議するためには、法と科学の双方の知識が必要とされていると思います。

 様々な人々との出会いが実を結び、独立行政法人科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)において、委託研究「不確実な科学的状況での法的意思決定」プロジェクトが2009年10月にスタートしました。
本プロジェクトは「科学技術と人間」研究開発領域(領域総括 村上陽一郎)の一つであり、法(法哲学・法社会学・民訴法等)、科学(科学哲学・物理学・医学・地学等)、そして科学技術社会論(社会工学・科学論・科学コミュニケーション等)の3つのグループメンバー総勢20名によって構成されています。極めて学際的なプロジェクトでありますが、その目的とすることは、単純な研究活動にとどまりません。社会に存在する問題解決に役立つ社会技術の開発こそがRISTEXの目標です。私たちのプロジェクトでは、具体的な事件からの呪縛を離れ、広く、法律家と科学技術者が、両領域にまたがる問題を一緒に議論できるフォーラム形成を模索しています。

 プロジェクト開始後約1年半、少なからぬ実務弁護士に関心をよせていただいております。対応に追われる様々な事件を抱えつつも、事件から少し距離をおいて、法と科学の関係性を今一度問い直す必要性は、実務弁護士の間でも共有されつつあります。

 もしも、あなたの担当している事件が、科学にまつわる論点を含み、その「科学的議論」に悩みを感じたら、是非ご一報ください。より多くの実務弁護士が、法の視点から見る科学技術の有り様を科学界に伝えていくことが、協働の第一歩であるように思うのです。科学の領域で迷子になった弁護士と法の領域で迷子になった科学技術者とが、互いの叡智をあわせれば、複雑な社会問題の迷路を一緒に抜け出していけるのではないでしょうか。

「日本弁護士連合会 「自由と正義」2011年4月号「ひと筆」」

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