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JAXA法改正への懸念:法は末端から変わっていく(こともある)


 科学技術開発をめぐる物語の中で、法律家は、科学技術の発展に無粋な冷や水を浴びせる存在としてしばしば出現する。

 天文学者であったカール・セーガンが書いたSF小説「コンタクト」(1997年映画化)でも、ひたむきな女性天文学者をねちねち疑って嫌がらせをする法律家が出てくるし、リチャード・ファインマンがチャレンジャー事故の調査をするのにも、なんだか嫌な感じのする弁護士委員長がうろうろする。マイケル・クライトンのSF小説でも、道化役や悪役は決まって弁護士だ。

 というわけで、第180回国会に提出されているJAXA法(独立行政法人宇宙航空研究開発機構法)の改正について、口うるさい弁護士の視点から一言申し上げたい。

 日本には3万人の弁護士がいる。この弁護士のおそらくほとんどは、いわゆるJAXA法なんていう法律があること自体知らないだろう。かく言う私も、この原稿を書くまでは、JAXAは知っていてもその根拠法令なんて読んだことはなかった。

 JAXAのホームページから仕入れたにわか知識によると、JAXAとは「2003年10月、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)が1つになり、宇宙航空分野の基礎研究から開発・利用に至るまで一貫して行うことのできる機関」であり、「宇宙開発利用と航空研究開発は、国の政策目標を達成していくための手段であり、問題解決に貢献することはJAXAにとって重要な使命です。JAXAはこの自らの使命を実現するため、2005年4月に『JAXA長期ビジョン“JAXA2025”』を提案しました。 JAXAは、『空へ挑み、宇宙を拓く』 というコーポレートメッセージのもと、人類の平和と幸福のために役立てるよう、宇宙・航空が持つ大きな可能性を追求し、さまざまな研究開発に挑みます」というような組織であるらしい。

 確かに、小惑星探査機「はやぶさ」の名前とともに広く知られるようになったJAXAには、夢とロマンが詰まっているようなイメージがある。

 国会に提出されているJAXA法改正案は、内閣官房のホームページで見ることができる。

 それにしても、「内閣府設置法等の一部を改正する法律案」なんていうタイトルの法律案に、そもそもJAXA法改正に関する部分が含まれているなんてちょっとやそっとじゃ気がつかない。しかも、何のために改正するんだかも、内閣官房の情報だけではすぐには飲み込めない。自分が直接関係するわけでもない、そんな細かい法律の改正にまでは、弁護士だっていちいち気が回らない(弁護士は法律を全部知っていると思っている人が多いようだが、そんなことは全くない)。

 けれども、ここに立憲主義国家ニホンの意外な落とし穴が潜んでいると思う。

 憲法改正や、民法改正など、国民生活を広くカバーするような法改正は、確かに社会の大議論を呼ぶ。それに対し、それらの法律の下位にある、こまごました法令の改正などは、まあ、それより上位の法についてしっかり議論していれば大丈夫と思われるのか、あまり議論されない。しかし、実務家として「法」の運用がどのように変容していくのかを見ていると、こういう末端の末端みたいなところの法令が「ほんのちょこっと」変わったことによる影響は想像以上に大きいように感じる。

 JAXA法改正で主な議論になっているのは、現行法第4条(機構の目的)について「平和の目的に限り」と限定されていたところを削除して、「宇宙基本法(平成二十年法律第四十三号)第二条の宇宙の平和的利用に関する基本理念にのっとり」に変更する、という点だ。

 JAXA法の上位法である宇宙基本法を見てみると、確かに、第二条で宇宙開発利用は「日本国憲法の平和主義の理念にのっとり」行われるとされているが、他方で、同法は第十四条(国際社会の平和及び安全の確保並びに我が国の安全保障)で「国は、国際社会の平和及び安全の確保並びに我が国の安全保障に資する宇宙開発利用を推進するため、必要な施策を講ずるものとする」としていて、安全保障を盛り込んでいるのである。他の条文を丁寧に読んで、審議経過を検討すると、このJAXA法改正により、平和利用目的の歯止めが効かなくなり、軍事利用の色彩が強くなる上、安全保障を理由として様々な秘密保全がなされるのではないかと懸念されるわけである。

 根本規範である憲法9条で戦争放棄を謳っている以上、JAXA法 を少々改正したところで、憲法に違反するようなことはできないと思いがちだが、「法」は自然言語で書かれている以上、その「解釈」に幅がもともと存在する。法文に書かれている表現で、目の前の物事をどこまで判断できるのか、ということは、一概には決めることはできない。

 その結果、膨大な数の法規の網の目の中で何かが一つ変えられると、ドミノ倒しみたいに他の法令の解釈も少しずつ影響を受けていく。やがて、社会全体の雰囲気が変わる。すなわち、社会が容認できるルールの内容が、現場からじわじわと変わっていき、最後は「法(上位法)が実態にあっていない」という状況に至る。

 私は、こうした法の変容を眺めていて、まるで遺伝と突然変異みたいだなと思うことがある。上位規範の内容を具体化する下位規範の山が作られていく様子は、あたかも、DNAのコードに従ってたんぱく質が合成されるようにも思える。ところが、その過程で、ある下位規範に小さな「突然変異」が生じることがある。すると、その突然変異は、それ自体が特別なルールとして社会の中で自己増殖を始めてしまい、最終的には一般法や根本法を含む法体系全体と、社会実態の齟齬に至ってしまうのである。

 今回は、JAXA法における突然変異的改正がもたらす社会的成果物が、最終的には安全保障の名の下に民主主義や学問の自由、ひいては憲法9条に波及しかねないのではないかと懸念する人々がいる。

 その懸念は、杞憂とまでは言えないと私は思う。

 科学技術は、「夢とロマン」だけではない。現代社会において科学技術は、政治と切り離すことができないキナ臭いものだ。巨額の予算が動く科学技術政策と軍事は紙一重であるにもかかわらず、科学技術研究の現場にいる研究者たちは、個人としては悪い意味でピュアすぎる。キナ臭さを感じても、組織の歯車の中で抗うことも難しく、業績の誘惑に勝つことも容易ではない。

 JAXA法という宇宙開発に関する法の「突然変異」は、我が国の法体系に、「進化」をもたらすのか、はたまた「ガン」となるのか。

 科学館さえない大分県のマチ弁(町医者のように地域に密着した弁護士のことをこう呼びます)が決めつけることはできないが、イケイケドンドンな研究者の集団と軍事的な思惑が結びついた歴史は、常に思い返す必要がある。

 法はそれほど強いブレーキではないことを知りつつ、望まない方向に社会が動いていかないよう、議論を常に喚起し、国民全てで注意深く状況を見定める必要があるだろう。

中村多美子

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