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科学者とのコミュニケーションが痛いわけ


 弁護士に法律相談に行くと、いろいろ法制度の説明を受けたあげく、自分は裁判に勝てるのかという一番知りたい問いに「最後は裁判官が決めることですから」と言われて、煙に巻かれたように感じた経験のある人もいるだろう。

 「フクシマ」以来、いろんな科学者があちこちで、けっこう難解な科学的用語と数字を羅列して説明してはいるが、「それでうちは大丈夫なんですか」なんて尋ねても、「直ちに危険とはいえません」なんて、やっぱり煙に巻かれたような回答をされて、拍子抜けした人もいただろう。

 この二つが重なり合って、私が大変困惑するのが、将来予測が極めて困難な科学的状況に基づいて発生する社会問題の紛争処理だ。

 市民が知りたい答えは、法の中にも、科学の中にも、存在しないことは少なくない。市民の問いと、法律家の問いと、科学者の問いは、実際には「かなり」すれ違っている。

 弁護士は、相談者の抱えている生の問題を、法的問題、つまり法のシステムを利用して解決できる形に再構成する。そして、その法的な問題を解決しようとして、科学者に問いかける。なぜなら、法的な問題の解決の前提となる「正しい知識」は、科学者から得られると思っているから。実際には、科学には多くの「不確実性」が含まれていてるにもかかわらず、法律家はなかなかそれに気づきえない。

 もっと言えば、法曹は、紛争処理を最終目的に見据えながら、問いを組み立てる。その問いは、「科学的」に見えることがあっても、実はそうではない。例えば、法曹は、法的責任追及の論理を潜ませながら、「そのリスクはありますか?」などと問う。科学技術専門家は、「可能性はゼロではない」とか「危険性がある」などと答える。法律家の問いはAll or Nothingの帰結を導くために発せられ、科学者はそれに対して、科学の方法論をもって「確率的」に答える。

 聞きたい答えが返ってこない、伝えたいことが伝わらない、というフラストレーションの悪循環の始まりだ。

 こうした法と科学のコミュニケーションの痛みの原因は、私は、それぞれの「専門性」にあるように思う。

 専門家は、特定の学問領域で作り上げられた専門的言語を使い、その領域である程度限定された問題について、領域のルールに従って解決する。法曹と科学者の科学コミュニケーションが、政府がこれまで進めてきた「理解増進型」科学コミュニケーションで解決できないのは、法と科学の領域が保有するそれぞれの「行動様式」が共有できないからではないか。

 科学哲学者の野家啓一氏は「パラダイムとは何か クーンの科学史革命」(講談社学術文庫)の中で、次のように述べる。「現実の科学者は基本用語の抽象的な定義から出発するのではなく、典型的な問題の解法を学ぶことによって具体的に仕事を進める。『力』や『化合物』といった用語の意味は明示的に定義されるわけではなく、そうした『標準例(standard examples)』を通じて文脈的に理解されるのである。(中略)そこにあるのは、『合意』や『一致』ではなく、むしろ『訓練』である。」

 このことは、驚くほど法曹にもあてはまる。「リーガルマインド(法的思考)」もまた、「訓練」によって培われる。「違法」「責任」「事実」、いかなる法律用語も、誰もが認める画一的で明白な定義はなく「訓練」によって共有され、文脈的に理解されているのである。

 そうしてこの「訓練」によって培われた能力は、それぞれの領域での「問題化」の違いとして否応なしに表れる。同じ社会紛争を対象としても、科学者と法曹では「問題の立て方」が異なるのだ。そのため、同じ問題を議論しているように見えて「問い」と「答え」が頻繁にすれ違う。そして、そのすれ違いに気づかないまま、時に衝突し、互いがコミュニケーションすることに痛みを感じてしまう。

 また、「答え」を導く「行動様式」もかなり異なって見える。

 誤解を恐れずにいえば、法律家は、「適正手続き」を大事にする。「適正手続き」とは、情報(証拠)の提供と共有、それに対する評価と十分な議論、一つずつ合意を積み上げていくプロセスのようなものであるが、適正手続きを踏んでいることが、その法システムの答えの正統性の源であり、法システムが出した答えが「真実かどうか」は二の次だ(法のシステムが導いた結論にエラー=誤判=があることは織り込み済み、というわけだ)。

 科学者は反対だ。何より結果が「科学的に正しい」ことが最優先で、「適正手続き」は二の次だ。科学の知識も科学者内部での合意形成という側面はあるのだろうが、「科学的に正しい」答えは、たぶん、適正手続きからは出てこない。

 どっちがいいとか、悪いとかの問題ではない。

 しかし、話をしている相手が、異なる問題意識と異なる行動様式を採用していることを知ることがまずは大事だと思う。それによって法律家と科学者の二人三脚が可能となり、問題解決に向けて最初の一歩を踏み出せるようになるのではないか。

中村多美子

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