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カンニングが刑事事件になったわけ


 京都大学の入試問題を試験中にネットに投稿したとして、予備校生が逮捕された。

 ちょうどこの事件が最初に報道されたとき、筆者は前稿「ファミコン世代の作る法律、使うはDSネイティブ」の記事を仕上げているところだった。入試問題ネット投稿事件も、ファミコン世代の感覚ではついていけない最近の若者の行動、ということになるのだろうか。

 もっともこの事件の第一報を聞いたとき、昨今の携帯電話の機能とそれを使いこなす若者達の能力を考えれば、「ついに発生したか」という感覚なのは否めない。とはいえ、「被害届」「偽計業務妨害罪」「逮捕」などといった一連の急速な流れに違和感を感じた人は少なくなかったのではないだろうか。特に、「偽計業務妨害罪」とカンニングはなかなか結びつかないだろう。大学入試というとりわけ公正さが求められる場面であったとはいえ、カンニングはなぜ刑事事件となったのだろうか。

 法とは、最低限のモラル、と言われることがある。筆者は時々法律相談で「このような悪いことをするのは犯罪なのではないですか?」などと質問される。しかし、道徳的に「悪い」ことであっても、刑法の条文にないことは、「犯罪」にはならず、「けしからん罪」にすぎない。社会が法の強制力をもって制裁を行うと予め決めた「悪い」ことだけが刑法犯なのである。

 刑法の条文は、普通、典型的な犯罪類型を予定している。例えば、偽計業務妨害罪であれば、嘘の出前をたくさん注文してそば屋を困らせるようなパターンだ。今回の事件は、誰しもがそれをやってはさすがにまずいと思う社会逸脱行動なわけだが、これまで大学入試のカンニングが偽計業務妨害罪で刑事捜査の対象となったということはほとんど聞いたことがない。

 刑法が予定していないのであれば、犯罪にはならないような感じもする。しかし、法の想定外の「まずい」事態が社会で起こったとき、それに社会がどう反応するかを予測するのはなかなか難しい。特に、その想定外の事態を引き起こした新しいタイプの「社会逸脱行動」が、刑事事件になるかどうかは、筆者の前述の説明とはいささか事情が異なり、刑法の条文だけで決まるのではなく、事件の背景や社会状況に大きく左右される。刑法の条文は制定されたときのままの内容を保つのではなく、適用される社会現象が時代とともに少しずつ変容していくのだ。

 今回の事件が刑事事件になったということは、法律家の目線からすれば、さほど奇異には感じない。

 まず、刑事事件にする必要性がいくつかあったと思われる。一つは、大学内調査の限界だ。多数の答案を精査して受験生と投稿の関連性を絞り込むには時間もかかるだろうし、そこまでしても決定的な投稿との関連性はつかめない。特に投稿との関連性を裏付けるIPアドレスと携帯電話の特定には、刑事手続きによる強制捜査しか方法はないだろう。もう一つは、一罰百戒的な側面だ。社会的にインパクトのある新しい社会逸脱行動の場合、最初の一例を容認してしまうと、その後の規制がやりにくくなる。事態の発生がある程度予測できた以上、大学の監督責任の方が大きいのではという論調もあるが、やっていけないことはやれてもいけないことに変わりはない。

 このように、法律家は、まず、問題に対応しうる法的手続きを選択してから、条文の適用を考えることが多い。今回でいえば、刑事手続きを利用する必要性が先にあり、そののち、適用しうる犯罪類型を考えるわけだ。そして、今回、立件しやすい犯罪類型として適用されたのが、偽計業務妨害罪だっただろうと思われる。

 科学技術を利用した社会逸脱行動の場合、何らかの法的手続きを取るための証拠が、科学技術のシステムの中にあって、それは、普通の市民からは手が届きにくい。かといって、新しい科学技術がもたらした社会的混乱を解決するのに、刑事手続きをはじめとする強力な法的手続きを際限なく使うのにも躊躇は感じる。他方で、こうした問題を防ぐため、対抗的に強力な発信器を使うなどして新技術で対処するということも議論されているようだ。こうしたパターンの事件解決策の議論を見るたび、法的強制が科学技術のありようを変容させていく問題を感じさせられる。

中村多美子

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